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関ケ原合戦の日(9月15日 記念日)
岐阜県不破郡関ケ原町に事務局を置き、観光客が来て見て楽しめるまちにするために関ケ原の魅力的な情報を発信する一般社団法人・関ケ原観光協会が制定。
日付は「関ケ原合戦」が始まった慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)から。
安土桃山時代に東軍と西軍に分かれて行われた大規模な合戦で、「天下分け目の戦い」としてその後の日本の行く末を決定した「関ケ原の戦い」。
記念日を通して関ケ原合戦が行われた日を広く世間に知ってもらい、この歴史的な転換日を関ケ原の地域資源として、関ケ原の地の活性化に繋げることが目的。記念日は2022年(令和4年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
関ケ原は「天下分け目の戦い」が繰り広げられた地。現在では岐阜県不破郡関ケ原町に位置し、その地は岐阜県の西南端、伊吹山の南東麓に位置する。主戦場となった「関ケ原古戦場跡」は国指定の史跡となっている。
また、関ケ原町には歴史の1ページを体中で感じられる体験型の施設として「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建てられている。同館では関ケ原合戦についての映像を見ることができ、シアターでは映像に合わせて音と風と振動でまるで当時の合戦の現場にいるような感覚になれる。関ケ原合戦グッズや岐阜のお土産を購入できる売店ショップもある。
「関ケ原」という地名の由来は、「関所」のある「原っぱ」だった、という一説がある。現在の「関東」「関西」という呼び名も、“関”ケ原を境にしているからとも言われている。
戦国最大ともいわれる天下分け目の戦「関ケ原の戦い」は、石田三成(いしだ みつなり、1560~1600年)率いる西軍と徳川家康(とくがわ いえやす、1543~1616年)率いる東軍により繰り広げられた。この戦いの発端は、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし、1537~1598年)の死後に発生した豊臣政権内部の政争である。
関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれている。しかし、小早川秀秋(こばやかわ ひであき、1582~1602年)の裏切りにより状況は一変する。これにより一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北する。
この戦役の結果、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、秀吉没後の豊臣政権を構成していた五大老(ごたいろう)・五奉行(ごぶぎょう)体制は崩壊した。家康の権力掌握は徳川氏を中心とする江戸幕府の成立に繋がり、幕藩体制確立への道筋が開かれることになった。