ノギス
古い工業機器を収蔵しているヨーロッパの博物館(ロンドン科学博物館、パリ工芸技術博物館、ミュンヘンのドイツ科学技術博物館)にも、古い時期のノギスは所蔵されておらず、滑り挟み尺とバーニヤ目盛が結びついた経過についてははっきりしない。
日本の三重県四日市市にある博物館「秤乃館」には、フランス陸軍砲兵隊の工場で1840年頃に使われていたとされるバーニヤ目盛つきのノギス(フランスでは1840年をもってメートル以外の長さの単位の使用が罰則付きで禁止されたが、この器具にはメートル以外の単位「プース」も併記されている)が収蔵されており、現存する世界最古のノギスという評価もある。
アメリカ合衆国のブラウン・シャープ社は、1851年に初のノギスを生産したとしている
日本においてノギスがどのように使用され始めたかははっきりしない。日本でノギスを制作した先駆的な事例が江戸時代幕末期にあるが、工具としてノギスが広く使われるようになったのは大正期からされる。
幕末期、江戸幕府が近代造船所として横須賀製鉄所・長崎製鉄所を設けて西洋の機械工作法を習得した時期に、ノギスも日本に入って来たと考えられる。横須賀製鉄所ではフランス人技師、長崎製鉄所ではオランダ人技師が指導に当たっており、オランダ語で副尺を意味する nonius が「ノニス」を経て「ノギス」へと転訛した可能性が考えられる。
福井藩主松平春嶽の命によって、大野弥三郎規周が制作した「玉尺」(福井市立郷土歴史博物館所蔵)が日本国産初のノギスとされており、制作年代は1855年から1861年にかけての時期という推定がある。バーニヤ目盛の理論は1783年に翻訳された『象限儀用法』で日本に紹介され、バーニヤ目盛付きの八分儀も幕府に献上されていたとされる。大野家は江戸幕府御用時計師で、父の大野規行にはダイヤゴナル目盛付きの滑り挟み尺を制作した実績がある。
使用記録がはっきりしているものとしては、1903年に東京高等工業学校に招聘されたW.C.A.フランシス教授が持参した測定器具の中にノギスがあったことという。日本でノギスが工業的に本格的に使用されるようになったのは大正初期からで、イギリスから並型ノギスが輸入されてからという。日本国内でも製造がおこなわれるようにはなったが、1930年代までは輸入品がもっぱら国内需要に応じていた。
日本ではノギスは物差し(直尺)の一種として扱われていたが、1945年1月1日より度量衡法の上で、直尺からノギスが独立して扱われることとなった。
段差測定をノギスの機能に追加したのは、日本の測定器具メーカーであるミツトヨ(特許)。ミツトヨのノギスの国内シェアは90%以上である。