ヘンリー・モーズリー
水圧機(en)を設計していたが、ピストン周りの水密シーリングに苦労していた。一般的な手法では麻繊維を素材としたパッキンを使用するが、要求される高い水圧に耐えられなかった。このブラマー水圧機のために、モーズリーは皮革製のガスケットを使うことで、完璧なシーリングと抵抗の無い円滑な動作を両立させた。
一般的な旋盤は、足踏み動力で、切削用の刃物(バイト)は職人が手に持って切削個所に当てる仕組みだった。そのためあまり精密な作業はできず、特に鉄製品を加工する場合には問題だった。そこで、モーズリーは、バイトを固定できる工具台を取り付けるように改良した。この工具台は旋盤本体に対して正確に平行移動できるようになっていた(スライドレスト)。その結果、寸法が決められた製品をこれまでにない精度で量産できるようになり、このスライドレスト(工具送り台)付き旋盤は、機械加工に革命をもたらした。
産業用として最初の実用的なねじ切り旋盤を、1800年に生み出した。これは、ねじ山を一定の大きさに統一して量産できる旋盤としては初めてのものであった。このねじ切り旋盤によって、それまではアイディア止まりだった部品の互換性が、ボルトとナットの関係について実現された。これ以前は、ボルトとナットは特定の一組でしか噛み合わせることができず、例えば機械の分解をしたときには、元の組み合わせを記録しておかないと復元できなかった。モーズリーは自分の工房内で使うねじ山を規格化し、規格に合ったボルトとナットを作るためのダイスとタップを用意した。これは工房での加工技術の一大進歩であった。
スライドレスト付きの旋盤の最初の発明者であるとよく言われるが、これは事実ではない。また、旋盤について基準ねじとスライドレスト、交換可能なギヤ機構という3要素を組み合わせた最初の人物でもないかもしれない[。しかし、これらの3要素を組み込んだ旋盤を世に広め、工作機械と機械技術におけるねじ山の応用に関して大きな進歩を生じさせたのはモーズリーである。